「これも学習マンガだ!」の11ジャンル(※)を1ジャンルごとに各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画。第10弾は「歴史」ジャンルを取り上げます。東海大学文学部ヨーロッパ文明学科・専任講師の柳原 伸洋氏に「歴史」ジャンルの選書作品の感想や、マンガを活用した講義についてお話を伺いました。
(※)「文学」「生命と世界」「芸術」「社会」「職業」「歴史」「戦争」「生活」「科学・学習」「スポーツ」「多様性」の11ジャンル
山内柳原さんは大学でどのような講義を?
柳原ドイツ近現代史を中心にヨーロッパにおけるモノの歴史やサブカルチャーを教えています。研究者としてはドイツと日本の空襲史を研究しています。第一次世界大戦後に空襲のイメージが戦争への動員のためにどう使われたかや、第二次世界大戦後に空襲がメディアや記念碑等によってどう伝えられていったのかというテーマで研究をしています。
山内 子どものころから歴史に興味を?
柳原はい。『MASTERキートン』の影響で(笑)。中学2年生のときに読んで衝撃を受けて、考古学や古代史に関心を持つようになりました。その後歴史にのめり込んでいった高校時代を経て、大学受験の時にドイツ現代史に興味を持ちました。ちょうど歴史認識や戦争責任に関する研究がドイツで盛り上がっていると話題になっていた時だったんです。考えてみると。『MASTERキートン』も実はまさに東西の冷戦下の、あるいは冷戦終結後の現代史だったんですよね。そんなわけで『MASTERキートン』の影響の大きさは計り知れないです(笑)
山内そういう作品との出会いは貴重ですよね。中学生の柳原さんと『MASTERキートン』のような幸運な出会いを「これも学習マンガだ!」を通じて増やしていきたいと考えています。ところで先ほど空襲をメディアでどう伝えていったかを研究しているというお話がありましたが、マンガも空襲を描くメディアのひとつですよね。歴史を描くマンガというメディアをどういうものだと考えていますか。
柳原そもそもドイツ語で歴史と物語っていうのは“Geschichte”という同じ単語なんです。元々物語と歴史は近いところにあるんですね。ただ、歴史学研究者間では歴史学に立脚した時に、物語とは一定の距離を置こうというスタンスが一般的です。一方で、マンガは物語を描かないといけないですよね。
山内 個人的には学びの入口としては歴史、物語のどちらもアリだと思います。例えば歴史年表を見るにしても『MASTERキートン』という物語と出会っていたかどうかで見方が違ってくるかなと。
柳原たしかにそうですね。僕は高校時代に図禄をコピーして歴史上の人物の顔や発言なんかを切り取って教科書に貼り付けていたんです。自分用に教科書をカスタマイズするという感じで。同じように歴史マンガをコピーして教科書に切り貼りするのは良いかもしれませんね。
山内黒板に書かれた内容を書き写すだけでは、なかなか覚えられないし楽しくないですよね。でもビジュアルイメージが沸けば一気に楽しくなる。歴史上の人物がどんな姿で、その時どんな風に振る舞ったか。マンガやアニメのキャラクターからイメージするのはごく自然なことだと思います。
柳原先ほど研究者の中では物語とは一定の距離を置くという話をしたんですけれども、その話には実は続きがあって。物語を一回突き放した後に再び手繰り寄せることも必要なんです。学問を続けていると、人物の物語から離れすぎてしまうことがあります。でも歴史は人がいないと成り立たない。だから時々、原点に戻るためにマンガを読むのはとても良いと思うんです。そういう往復関係みたいなものがあったらいいんじゃないかと思っていて。そんな思いから僕は「歴史コミュニケーション研究会」というものを主催しています。歴史コミュニケーションというのは歴史の伝わり方、伝え方のこと。この歴史コミュニケーションにおいて、マンガはかなり重要な役目を果しうると思っています。
山内「歴史」ジャンルの選書作品の中で印象深い作品は?
柳原まず『チェーザレ 破壊の創造者』は素晴らしいと思います。歴史学の研究よりもマンガを作ることの方が難しいことってたくさんあるんじゃないかと。マンガは空間を描くものだから、例えば背景に描く建物の内部の様子や調度品に至るまで描かないといけないわけですよね。そこを調べるには相当の労力と強い想いが必要だと思います。
山内どこまで調べて描くかという判断は難しいですよね。歴史マンガを参考書的なものだと認識している人達は少なからずいて、そういう人達は内容に事実と違う点があると不満に思ってしまう。一方でマンガのドラマとしての面白さは別の所にもあるわけです。このバランスは難しそうですよね。
柳原歴史マニアや研究者たちがマンガ作品に対して「それは史実と違う」って突っ込むのは違う気がしていて。学生に対する「歴史マンガから得た歴史観は間違っている」みたいな批判も同じくですが。そこで否定するんじゃなくて適度な緊張感をもって、むしろ共存関係を築いていったほうが良いと思っています。
山内たしかにそうですよね。興味の入口がフィクションであっても、徐々にその背景にあるものが何なのか?と興味や視点が移っていけば良いんじゃないでしょうか。
柳原僕の講義では学生に『エマ』を見せるんです。作中、主人公エマがメイドとして勤めるドイツ人の貿易商が登場します。これはちょうど19世紀の終わりにドイツがフランスに戦争で勝って、賠償金を得た後の産業革命バブルの時代の話なんですね。ドイツがイギリスにどんどん進出していく。『エマ』に登場する裕福なドイツ人について、このような歴史を話すとストーリーだけでなく背景に目が行く。こうやって僕が講義で少しだけ他の視点を注入してあげれば、もうそれで十分学びになると思うんです。
山内少し話が逸れますが、そもそも今の大学生ってマンガ、読んでます?少し前に小学6年生~中学2年生の課外授業を受け持ったんですが、その教室では「週刊少年ジャンプ」を読んでいる子は3割にも満たなかったんです。今の子どもたちは私たちの想像以上にマンガを読まないんですよ。
柳原確かに。今の大学生でもマンガが読めない人は増えている印象です。
山内「これも学習マンガだ!」を通じてマンガの文法を次世代に繋いでいきたいとも考えているんです。マンガをたくさん読んでマンガの力を実感している世代が例えば今から5年後に「マンガで学ぼう」と号令をかけても、肝心の10~20代がマンガを読めなくなっているという状況は十分起こりえます。マンガ文化が幸せな形で続いていくためにはさまざまな切り口でマンガが使えますよって言うことを今このタイミングで伝えていかないといけないかなと。
柳原そうですね。マンガの多様性については僕も思うところがあります。歴史マンガであれば90年代くらいから竜馬や持統天皇のような超有名人物だけでなく、時には無名の人物が描かれるようになりましたよね。超有名人物を描く作品はその人物の運命を知っている読者が運命の中でもがく姿に魅了される。一方で、さほど有名ではない人物や無名の人物が描かれる作品では与えられた場所、限られた社会の中でどうやって頑張るかみたいな視点が入ってきます。
柳原あともう一つ、歴史マンガの多様性で言うと現代史の学びにつながる作品についても触れておきたいです。『MASTERキートン』や『レッド』がそうなんですけれども、もはや20~30年前って今の中高生から見たら歴史なんですよね。『ヒストリエ』みたいに2000年以上前の「遠い過去」なら、人殺しを簡単にやってしまう感覚が今と違うものだと理解しやすい。でも実際はたった20~30年前であっても僕らの考え方や感覚は全く違っているんですよ。簡単な例で言うと、携帯電話があるか無いかで僕たちのコミュニケーションの有り様は大きく変化しましたよね。こんな風に20~30年前を描いた作品を読んでその変化に気づいて「何だろう、これ。」と思った時に、何か一つ架け橋をかけてあげることが学びの糸口になるのではないかと。例えば『坂道のアポロン』は歴史的な事件を中心には扱っていないんだけれども、物語の背景には学生運動や学生闘争の時代があるんです。作品を読んだ100人のうち1人でもいいから「何だろう、これ。」と思って調べてくれたら面白いですよね。
山内『ヘタリア Axis Powers』を講義で使っているとお聞きしました。
柳原はい。学生が持っている各国に対するステレオタイプを頭ごなしに否定せずに、そこから入って学びにつなげていく試みです。
山内面白そうです。どんな講義なんですか。
柳原まず学生に自分が担当したい国を決めてもらって、教室をヨーロッパだと見立てて各国の位置にそれぞれ座ってもらいます。学生たちは自分が担当した国の専門家として、それぞれの国で何が起きていたかをその場で調べて発表していきます。例えば「戦後ヨーロッパの復興金であるマーシャルプランをアメリカから受け入れた国は?」と聞くと該当する国の担当者が手を挙げるんです。手が上がったラインはそのままかつての冷戦構造の鉄のカーテンになっていて、目の前で視覚化されるんですよ。そういう風にしていくとなかなか手を挙げる機会の無いスペインとか、何故か鉄のカーテンの社会主義側にいたのにソ連と決別してマーシャルプランのお金をもらっちゃうユーゴスラビアとかに気づく(笑)。そういうのが学生にとってはすごく面白いんですね。
山内非常にヘタリア的ですね(笑)
柳原ステレオタイプを一回受け入れてしまうっていうことです。ただ当然そのステレオタイプ通りじゃない面がある。そこに気づくのが学びだと思うんですよね。細かく言えば、問題はたくさんあるわけです。キャラクターが軍服を着ていることもそうだし、歴史の中で矛盾していることも描かれている。逆に描かれていないこともある。でも否定するより共存した方がいいかなと。
山内その方が学生も楽しく出来ますもんね。今の学生は「とにかく暗記しろ」と言われても納得しないですよね。ひたすら暗記してもそれがあまり役に立たないことに気づいてしまっている。だから楽しみながら学べるっていうのは大きいと思います。
柳原そうですね。事実、歴史研究者は暗記を「仕事」とはしていないんですよ。暗記することよりも大切なのは歴史的な思考方法。歴史的思考というのは原因と結果を結んでいく、あるいはより多様な社会を見ることができる力です。そして歴史的思考をつけるためにも歴史マンガで歴史的な想像力を鍛えることは有効だと思います。想像力が無いと歴史研究は成り立たないんですよ。
山内歴史の空白の部分を自分の想像力で埋めていくんですね。
柳原まさしくそうで、論理と想像のバランスが大切ですね。そこでは、ついつい妄想しちゃうのとか、実はすごく重要なんです。
山内歴史マンガのおすすめの読み方ってありますか。
柳原少々マニアックな読み方になってしまうかもしれませんが、同じ時代もしくは近い時代をテーマにした何作品か比較して読んでみるとより想像力が刺激されるかもしれません。例えば『チェーザレ 破壊の創造者』と『アルテ』や、『イノサン』と『ベルサイユのばら』なんかですね。
柳原ですね。そうやって比較をして読んでみるとマンガが持っているフィクション性にも気づけるかなと。
山内誰かに言われてではなく自分で気づくというのが大事かもしれませんね。フィクションと史実の境目に気づくことと、さっきお話のあった「何だろう、これ。」と疑問を持って背景に興味を持つことは近しいことのような気がします。自分で気づける機会をマンガと学びをつなぐ架け橋と考えても良いかもしれませんね。
構成・編集 岩崎 由美