「これも学習マンガだ!」の11ジャンル(※)を1ジャンルごとに各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画。最終回の第11弾は「生命と世界」ジャンルを取り上げます。日本デジタルゲーム学会理事の三宅 陽一郎氏に「生命と世界」ジャンルの選書作品の感想や、人工知能から見た「生命」「世界」についてお話を伺いました。
(※)「文学」「生命と世界」「芸術」「社会」「職業」「歴史」「戦争」「生活」「科学・学習」「スポーツ」「多様性」の11ジャンル
山内三宅さんは人工知能の研究をされています。具体的にはどんな研究を?
三宅デジタルゲームの中の人工知能を作っています。今のゲームって、3Dなどの最新技術によって現実世界とそっくりなビジュアルが再現できるんです。僕の仕事はそんな現実そっくりなゲームの世界に見合うように、現実世界の生物の生態を再現する人工知能を作ることです。もともと僕は数学や物理のエンジニアリングをしていたんですけど、エンジニアリングのようなドライなものから生物みたいなウェットなものを作れるのは人工知能なのではないかと興味を持って、それからかれこれ12年間人工知能ばかり作っています(笑)生物の生態を知るために水族館や動物園に調査に行くこともありますよ。
山内人工知能は今とても注目されていますよね。人工知能が囲碁で人間に勝ったというニュースも話題になりました。実際はどれくらいのことまでできるようになっているのでしょうか。
三宅そういう話題が出ると人工知能って万能なんじゃないかと思っちゃいますよね。よく言われるのは「人工知能が人間の職業を奪ってしまって、人間の仕事がなくなってしまう」とか。でもそんな心配は無用です。囲碁で人間に勝てる人工知能は将棋は打てない。ボードゲームも出来ないし、コップを手にすることもできない。ましてや人間のように自然な流れで会話したり、相手の空気を読んで交渉をするなんてもってのほかなんですよ。むしろ人工知能の限定された領域での抜群の優秀さを使って、どう自分と協調して仕事させるか、というセンスの方がこれからは大切になります。
山内能力を発揮する専門領域が限定されると?
三宅そうですね。言ってしまえば人工知能って「すっごく視野が狭い賢い人」みたいなものなんです。囲碁ができて、マンガを読めて、街を歩けて、話し相手になって…といったような総合的な知能の開発はまだまだなんです。
山内なぜ総合的知能の開発は難しいのでしょうか。人工知能と人間の脳にはどんな違いが?
三宅人間って1個の事例があればそれを応用して100個できるようになりますよね。 例えば子どもが1回「ドアを開ける」ことを覚えたら、その後はさまざまなドアを開けることができる。一方で人工知能は「このタイプのドアを開ける」というのを学習したら、そのタイプのドアしか開けることができないんです。例えば料理ロボットの料理中に猫がやってきたら、ロボットはパニックになっちゃいます。想定外の対応ができないんです。
山内そう考えると人間の脳ってすごいですよね。人間の脳のメカニズムについてはまだ謎が多いと聞いています。
三宅はい。脳科学によって少しずつ分かってきたものの、まだまだ解明されていないことが多いです。アメリカやヨーロッパで人間の脳をシミュレーションしてそれを作るという研究プロジェクトがやっと始まりましたが、この研究も一筋縄ではいかなそうです。
山内人工知能の研究を突き詰めていくと「人間とはなにか」という哲学的な問いに繋がっていきそうですね。「これも学習マンガだ!」の「生命と世界」ジャンルの作品ともテーマが重なる部分がたくさんありそうです。
三宅「生命と世界」というジャンル名はセンスが良いですよね。「生命」だけでも「世界」だけでもなく「生命と世界」。これらが分離してないのが本質的だと感じました。例えば土のない蟻って蟻じゃないですよね。蟻っていうのは土と一緒いるから蟻なんです。世界から生命だけ切り出すことは出来ない。もちろん人間もそう。「生命」と「世界」が不可分だっていうのは知能を考えるときの大前提で、ゲームの人工知能もこの前提の上で作っています。
山内「生命と世界」って作品を分類する名称としては特徴的ですよね。作品のラインナップを見ていただくと分かると思うのですが、「生命とは何か」や「ここじゃないもう一つの世界があるんじゃないか」など、さまざまな問いかけのある作品を選出しています。
三宅「もう一つの世界」の話で言うと、僕は生命と世界の結びつきのバリエーションっていうのは本来たくさんあるはずだと思っていて。ただし地球上にいる限りはそのバリエーションを見ることはできない。でも想像することならいくらだって出来ますよね。そういう想像をすることに僕はすごくワクワクするし、想像力を刺激してくれるような洞察のある作品が好きなんです。それはゲームという異世界の人工知能を考えることそのものなんです。
山内興味深いです。例えばどんな作品ですか。
三宅『蟲師』はまさにそんな作品ですよね。人間という生命は私たち自身のことだから良く知っていて、もちろん世界とどう関わっているかもおおよそ分かっている。『蟲師』では人間のそばにいる蟲という生命と世界がどう結びついていくのかが描かれています。蟲が人間とは違う世界との結びつき方をしているところが面白い。人間と蟲との間に世界が介在しているんです。
山内人間のそばにいる別の存在として『陰陽師』では霊的なものが描かれます。
三宅『陰陽師』はその霊的なものを描くことで、人間社会の闇の部分がむしろくっきりと描かれています。裏側から人間の在り方を描いたお話ですね。『寄生獣』は『陰陽師』とは全くトーンの違う作品ですけれど同じようなアプローチで、人間のすぐそばにいる異質な生命を描いています。これはSFの王道的な手法ですね。人間社会とは違う社会を描くことでむしろ人間を明確に描くという使命を持っているのがSFだと思います。他には選書作品ではないですが『アーシアン』もイチオシです。作中に「アンドロイドは死んだら人間と同じ場所に眠れるのか」っていう問いかけがあるんですね。私たちは人工知能や生命のようなものを「作る」ことばかり考えがちですが、当たり前ですが生と死はセットなわけです。アンドロイドが死んだらどこにいくのかというテーマはとても興味深い問いなんじゃないかと。
山内人間とアンドロイドの死は違うのか。命の重みが違うのか。『火の鳥』に通じるテーマですね。
三宅そうなんです。まさにこのあたりを描いた王道中の王道が『火の鳥』。以降のマンガ家がみんな困っちゃうんじゃないかというほどの王道を全部描き切っちゃったみたいな作品ですよね。でもその手塚作品を上手く引き継いだのは市川春子さんだと僕は思っていて。市川さんの作品は現代版『火の鳥』と言っても良いかもしれません。
山内なるほど。『25時のバカンス』『虫と歌』『宝石の国』などいずれも生命を独創的な世界観で描いた作品ですね。
三宅一風変わった生命を正面から描いていますよね。例えば『宝石の国』では宝石が擬人化されています。石だから物理的なダメージを受けると体がどんどん崩れていく。両足が丸ごと切断されてしまっても修復される「宝石人間」を通じて、人間と違う体を持った生命の知能が描かれています。そしてそんな「変わった」生命と対比されることで人間という生命がどんなものなのであるのかを教えてくれるような作品でもあります。
山内子どもの頃にこういう作品との出会いがあると幸せですよね。
三宅そうですね。多様な生命とそれが結びつく世界があるということを想像できると視野が広くなりますよね。西洋では「人間の知能が絶対だ」という考えが中心にあるんです。だから西洋では人工知能は基本的に人間に近づければ良いという考え方で開発されています。でも日本には「八百万の神」がいますよね。万物に神様が宿っているという考え方です。そんな日本ではロボットの人工知能っていうのは八百万の神のもう一人目なんです。つまり800万1体目(笑)要するに横並びなんですね。
山内多様な生命を階層的ではなく並列に捉えていると。たしかに分かります。ゆるキャラがこんなにたくさん生まれて人気が出るのもその価値観の土壌によるところが大きいかもしれませんね。
三宅だから日本では『宝石の国』のようなマンガがたくさん生まれるんじゃないかと。市川さんだけでなく、日本の多くのマンガ作品で人間とよく似ているけれど違うさまざまな生命体が描かれています。人間だけが知能を持っているんじゃなくて、それぞれの生物が固有の知能を持って、固有の関係を世界と結んでいるということを想像できるようになれば、より自由に生きられるんじゃないかな。
山内日本人にとっては当たり前の感覚なだけに見落としがちですが、重要な指摘だと思います。
三宅人間社会だけを見ていると行き詰っちゃいますよね。人間の尺度だけでずっと生きていると、やっぱり固く、弱くなるし、脆くもなる。例えば「受験勉強が出来ないから俺はダメ」だとか、「車を運転出来ないからダメだ」とかですね。特に今の若い人は1つの軸だけで考えてしまうことが多いように感じます。インターネットの世界でも一番強い言葉にすぐ翻弄されちゃいますよね。「そうじゃないよ、人間だけで世界って動いているわけじゃないんだよ」っていうことが感覚として理解できたら、今よりずっと楽になれるんじゃないかな。理屈ではなく感覚として理解するというのは結構大事なことで、そのためにもマンガはとても有効な方法だと思いますね。
山内子どもの頃に出会った作品を大人になってから読み返すとまた違った発見がありますよね。『火の鳥』も何歳で読むかで注目するキャラクターや読み取るメッセージが大きく変わってくるんじゃないかと。
三宅『風の谷のナウシカ』もそうですね。冒険活劇としてアニメ版に親しんだ子どもが大人になってからマンガ版を読むとびっくりするかもしれません。主人公のナウシカは日本の古典文学の『虫愛づる姫君』がモデルと言われています。虫への偏見に満ちた世界にいて、偏見を持たずに虫や自然とまっすぐ向き合うナウシカの姿はまさに「生命と世界」の本質を体現していると思います。虫は人間社会にとっては害以外のものではないように思えるけれど、より大きな世界から見ると、虫が森を守って、森は地球を守っているということが分かります。
山内地球にとっては虫ではなくてむしろ人間が邪魔モノなのかもしれないという考え方は日本人特有なものなのかもしれないですね。多様な生命と世界が描かれるマンガをたくさん読む中で、知らず知らずのうちに日本人の間で共有されている価値観のひとつかもしれません。他にも世界を見るためのさまざまな視点を僕たちはマンガからたくさん得てきたと思います。
三宅作品を読んで新しい視点を手に入れるとそれまでと世界が違って見えてきますよね。読後に一皮むけるというか。素晴らしい作品は読者を作品の世界に引き込んだ後にもう一度現実に戻す力があると思うんです。作品から得たものを自分自身の問題やその他さまざまな現実世界の問題と折に触れて結び付け、考えることができる。夏休みに子どもをキャンプに行かせてちょっと大人になって帰ってくるみたいな感じで、マンガを子どもに読ませると一皮むけて帰ってくるみたいな感じかもしれない。マンガに限らず優れたエンターテイメントにはそういう力があると思います。
山内ゲームにもありますよね。
三宅「学べるゲーム100選」をやったら面白そう。やってみようかな。
山内いいですね。是非。楽しみにしています。
構成・編集 岩崎 由美
<初級編>
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